高知県視覚障害者の就労を促進する会
結成に至るまで

    1. 歴史的経過

 障害者の自立にとって、就労は最も大切なことです。
 我が国においては、視覚障害者の職業として江戸時代から按摩、鍼、灸(三療)と邦楽(琴、三味線など)が、国の保護を受け、他の国と比較して視覚障害者の自立に一定の役割を果たしてきました。
 しかし、1960年代頃から大きな変化が起こってきました。
 一つには、視覚障害者に優先的であったこれらの職域に晴眼者が「職業選択の自由」ということもあって、どんどん入り込んで来るようになったことと、風俗営業者として無免許で「足裏マッサージ」とか「タイ式マッサージ」とかいろんな名称を付けて法を犯して入り込み、視覚障害者の理療業への就労が大変厳しい状況になってきたこと。
 もう一つには、視覚障害者自身の中に、今までの伝統的な限られた職域の中に閉じこめられてきたことへの不満と、自分の望む職業に就きたいという要求が高まってきたことです。

1960年に日本点字図書館の創設者である本間一夫さんが中心となって「文月会」が結成され、全日本視覚障害者協議会(全視協)と協力して、視覚障害者への一般大学の門戸開放運動を展開し、多くの大学が点字による入学試験を実施するようになりました。
 しかし、大学を卒業しても就労できないという壁にぶつかりました。
 そこで、1970年代に全視協は、東京12チャンネルの鈴木さんや横浜税関の馬渡さんなど、中途失明者の職場復帰に力を注ぎました。
 1976年には、身体障害者雇用促進法が改正され、障害者雇用の義務化が実現しました。
 また、1979年には、全視協や文月会が協力して、視覚障害者雇用促進連絡会が結成され、国家公務員の点字受験を求める国会請願、地方自治体への点字受験の働きかけなどに取り組みました。

 そういう流れの中、1975年に東京都が先頭を切って、都職員に点字受験を実施し始め、以後、各都道府県に広まり現在県レベルでは22県に及んでいます。

 1991年には、数度にわたる国会請願が実現し、国家公務員試験でも点字受験が認められました。

    2. 高知での経過

 高知でも、高知県視力障害者の生活と権利を守る会では、1970年代後半から県と高知市に対して、点字受験を実施し視覚障害者にも門戸を開くよう毎年陳情を繰り返してきました。
 しかし、行政当局は「点字受験は技術的に難しい」とか、「受験していただいても働いてもらう職場が無い」という回答を毎年繰り返すだけでした。

そういう中、高知大学在学中に失明した吉岡君が、卒業後日本ライトハウスでパソコンなどの職業訓練を受け、公務員試験を受けようとしているのに、県も高知市も受験のチャンスさえ与えようとしないという事態に直面しました。
 そこで、私たちは昨年10月、「あなたと障害者の雇用を考える集い」を開催し、障害者、行政、企業、労組など601名の参加で「タートルの会」(中途視覚障害者の復職を支援する会)の工藤さんの講演」やパネルディスカッションを行いました。
 また、10月25日県庁において、視覚障害者がどのようにパソコンを使って業務を行うかのデモを行いました。

 そして、広く市民の理解を獲ながら視覚障害者の就労を実現させるために11月、吉岡君を始め彼の大学の恩師である田中、障害者の生活と権利を守る高知県連絡協議会(障高連)会長の正岡、高知点字図書館の初代館長の渡辺、高知県視力障害者の生活と権利を守る会会長の片岡など各氏で本会発足に向けて発起人会を立ち上げ、本年2月10日ついに「高知県視覚障害者の就労を促進する会」の結成に至りました。



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